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人生で唯一ニガテなこと『家族との関係』について

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彼が実家に帰るというので、ついていったことがある。出迎えてくれたのは、ご両親と、同じく帰省していた2人の妹ちゃんだった。

 

彼らは私を温かく迎え入れてくれた。

特産牛のBBQをご馳走になったり、乗馬が趣味なのを知っていて馬と触れ合える場所に連れて行ってもらったり、その家のお雑煮のレシピを教わったりした。夜は居間でみんなでテレビを見て過ごした。彼が冗談を言うと妹ちゃんが「意味わかんない」と笑っていて、ご両親も笑っていた。

 

そこには信頼関係、安心、絆があり、絵に描いたような家族だった。

 

「家族、仲良しだね」と彼に言うと、「そう?」とキョトンとされた。家族なんだから、これくらい普通じゃない?というような返事だった。

 

私の家はそうではない。

 

帰りの飛行機で彼に『俺もそっちの家族に会っとかないとね』と言われたときにギクっとした。

いやだとは言えなかった。

彼に、真剣に付き合っていると思って欲しいし、申し出自体は素直に嬉しかった。

 

でも、うちはみんな揃ってテレビを見るような家庭じゃない。なんとも説明しづらいが、母は人様に紹介できるような人ではないし、父なんて5年くらい会っていない。何より、家族とうまくいってない私を知られるのが恥ずかしい。

 

 

とりあえず、『そのうちね』と言って誤魔化した。

 

父との関係

父は母の再婚相手なので血はつながってないものの、物心つく前からそばにいるので、まあ、実の父みたいなものだ。

関係が悪くなったのは、私が小学生になり父方の祖父母の敷地内に家を建て引っ越してからだ。

 

その頃から母は私に、父と義父母のことを愚痴るようになった。『父は家事を手伝わない。』『義母は私の行動にいちいち文句をつけてくる』『それに対して父は何もいわない。マザコンだから。』

そんな愚痴を毎晩聞いているうちに、私も母と同じく『父方の一家はダメなやつら』だと思うようになっていった。母の思考に染まり、洗脳されていた。父親に話しかけられるだけで腹が立つくらいだった。

父は気を遣って、私が好きな漫画を読んでその話をしようとしたり、色々と頑張っていたとは思うが、そういうことをされるほどイライラした。

 

いつの間にかほとんど口を聞かなくなった。

 

大学時代は母方の祖父の家に帰り、実家には帰らなかった。学生時代はほぼ父とは会わなかった。

 

しかし、その頃から、今のままは良くない、とは思っていた。

 

上京し実家を離れ、たくさんの人とかかわり、いろんな価値観に触れた。

ニュースで家庭の事件もよく聞く。世の中にはひどい親がたくさんいるなか、私の父は娘想いのまともでいい人じゃないか、と気づいた。母の言うようなひどい父ではなかったのに、向き合いもせず避けてきたことを今更後悔した。

 

 

父は、普通のサラリーマンで、普通の収入で、職場に友達もちゃんといて、毎晩金麦を飲み、阪神タイガースとゴルフが好きな人だ。強面でボウズでちょっとデブだ。妹とは仲がいい。母とはあまりうまくはいってないらしい。

 

怒られたことは何度もあるが、手を上げられたことは1度もなかった。小学校の夏休みは2人で自転車でプールに行き、帰りにおでんを食べた。プールで冷えた体におでんの出汁はそうとう染みた。

その自転車に乗れるように公園で応援してくれたのも父だ。子供の頃の私は病気がちで手術ばかりだったが、ドンと医療費を払ってくれたのも、学費を出してくれたのも父だ。

 

頭ではわかっていつつ、今更謝ったり、どうやって話しかけたらいいかわからないまま、社会人生活も4年が経った。

 

 

 

 

そしてその機会は急にやってきた。

 

 

転職を機に引っ越しの手続きをしていたときのこと『書類にご両親どちらかでいいので勤め先を書いてください』と担当者に言われた。母は専業主婦なため、父の勤め先を書く必要があるが、妹から最近父が転職したとはきいていたものの詳細を知らなかった。

 

妹に父の番号をきいてから電話をかける。その時、隣に彼がいたが、彼も担当者も「父親の電話番号知らないの…?」と言う顔をしていた。自分でも、変なのは分かってるよ!

 

 

話すのは何年ぶりだろう、すごく緊張した。

父が出た。昔と変わらない話し方だった。特に何も言われず、私は用件を伝えて手短に済ませ、お礼を言って電話を切った。

 

そして手続きが終わったあと、今しかないと思った。

 

不動産を出たあともう一度を電話をかけ、

『GWそっちに帰ろうと思ってる。彼氏を連れていったら会ってくれる?』

ときいた。すると父は『けけけ結婚するの!?』とびっくりした様子だったが、『いやそういうのまだ考えてないけど、彼が会いたいらしくて』と言うと、いいよと快諾してくれた。

 

その夜、まだ実家で暮らす妹から『お父さんのテンションがすごく高い』とLINEがきた。

 

 

GW、地元大阪の居酒屋で、父と妹が待っていた。白髪こそ増えたものの、一緒にプールに行っていた頃と何も変わっていなかった。関西人ノリで彼をイジり倒しつつも歓迎してくれた。

 

父と彼が話すのを眺めながら、ずっと私は、避けてきたことを謝らなきゃと思っていたが、父はそのことを察してかどうかわからないが、常に上機嫌で『何があろうと俺の娘だから』を連呼していた。

 

居酒屋を出たあと、もう夜なのに、その日に賞味期限が切れる堂島ロールを手土産に渡された。センスの無さも父らしい。そして『ほな2人とも、またな。』と帰っていった。

甘いものは得意ではないのに、彼は顔の大きさほどあるロールケーキを完食してくれた。

 

 

父との再会が実現した夜、一人になってから、色々と今更になってしまった申し訳なさと、安堵から思わず涙が出た。

 

 

でも、そんなことずっと言ってても仕方ないのだ。今からでも、きっと、遅すぎることはない。父との関係はまたここから始められる。謝るよりも、これからのことに専念しよう。

 

長年抱えていた私の心のモヤモヤが、ひとつスッキリ無くなった。

 

 

 

私の人生で出会ったなかで最も難しい女、母の話はまた次回。